
人は自分に余裕がなくなると恐ろしく愚鈍になり攻撃的になる。
きっと恐怖に支配されてしまうのだろう。
恐怖に耐えることも、賢明でいることの条件かもしれない。
恐怖に負けて仕舞えば賢明ではいられない。
例えば、病気が怖ければ、ワクチンを信じる。
ワクチンを信じられなければ、ワクチンを恐怖する。
ワクチンも信じられないまま、病気になった自分は、結局自然免疫を獲得して今に至る。
病気が怖くなかったわけではない、でもワクチンの方が怖かったのだ。
病気は症状やDNAの特徴がよく調べられていて情報が多かった。しかしワクチンの情報は隠されていることも多かったし、歪曲され、誤魔化されていることも多かった。
あとは本能的な直感がヤバいと告げていたのだ。
化学がわからないわけではない、生物学や遺伝の仕組みがわからないわけではない。ただ納得できなかった。どんな権威が言っても。信じられなかったのだ。なんと言っても、ワクチンを推奨する立場の人が、ワクチンを打っていないという事実を知ったからだ。
恐怖に駆られると、自分のことにしか思いが至らない。極めて視野が狭くなる。
こうして恐怖に支配された人も、本来はいい人で悪意はないのかもしれない。
そういう人は恐怖からのヒステリー反応によって人を傷つけることも多いだろう。
でも、そうする人は自分自身をも傷つけてしまう。
何ともかわいそうである。だから、そういう人も幸せになってほしいと思う。
恐怖にかられると人は思考停止になり、恐怖から救ってくれる何かを盲信して客観的に物事を見れない心理状態に陥るのだということをこの三年間で嫌というほど実感しました。大手メディアがコロナという感染症の恐怖を煽るだけ煽った後に救世主のようなmRNAワクチンが現れて大宣伝が続き、国民の8割は恐怖を救ってくれると飛びついたように思い返します。現時点でも99%の人々がマスクを着用している状態をみると依然として恐怖に支配されている奇妙な集団心理に見えてしまいます。
ワクチンは中身を調べられない、治験の薬品であることは当時ほとんどの人が知らないか調べる意欲などなく、一斉に接種するという今まで経験したことがないできごとだったと振り返ります。
遺伝子ワクチンは過去に成功した例がないので懐疑的に見ていて私も結局接種しませんでしたが、それを言うこともどこか憚れる世間の雰囲気に困惑しながら過ごした3年間でした。
日本人はこういった情報戦にとても弱くてこの先、テレビや新聞でまた別の一方通行的な情報を流された時に冷静に判断できるのかとても心配になります。
高野さん、コメントありがとうございます。高野さんもやはり同じように感じていたのですね。
そうなんですよね、m-RNAワクチンは生煮えの技術であり、組み替え蛋白ワクチンも本当は、中に何が入っているのか誰にもわからないわけです。
もし体に良いものなら、ワクチンを推奨する立場の人、権力者たちがこぞって打ちますよね。でも、実際はそうはなりませんでした。
恐怖を煽って人を一定の方向に誘導する、本当に悪魔の所業だと思います。
接種しなくて正解だったと思います。
私は、健康な子供さんに接種を強要する親御さんを見てきたので、本当に心が痛みました。一種のヒステリー現象ですね。
黄色信号で、アクセルを吹かして行ってしまうか、そこで踏みとどまるか、大事な子供を乗せているならそこはもっと慎重になるべきだと思いました。