思うこと

人は自分に余裕がなくなると恐ろしく愚鈍になり攻撃的になる。

きっと恐怖に支配されてしまうのだろう。

恐怖に耐えることも、賢明でいることの条件かもしれない。

恐怖に負けて仕舞えば賢明ではいられない。

例えば、病気が怖ければ、ワクチンを信じる。

ワクチンを信じられなければ、ワクチンを恐怖する。

ワクチンも信じられないまま、病気になった自分は、結局自然免疫を獲得して今に至る。

病気が怖くなかったわけではない、でもワクチンの方が怖かったのだ。

病気は症状やDNAの特徴がよく調べられていて情報が多かった。しかしワクチンの情報は隠されていることも多かったし、歪曲され、誤魔化されていることも多かった。

あとは本能的な直感がヤバいと告げていたのだ。

化学がわからないわけではない、生物学や遺伝の仕組みがわからないわけではない。ただ納得できなかった。どんな権威が言っても。信じられなかったのだ。なんと言っても、ワクチンを推奨する立場の人が、ワクチンを打っていないという事実を知ったからだ。

恐怖に駆られると、自分のことにしか思いが至らない。極めて視野が狭くなる。

こうして恐怖に支配された人も、本来はいい人で悪意はないのかもしれない。

そういう人は恐怖からのヒステリー反応によって人を傷つけることも多いだろう。

でも、そうする人は自分自身をも傷つけてしまう。

何ともかわいそうである。だから、そういう人も幸せになってほしいと思う。