唯物論と物心二元論その3

前回、意識は量子状態のエネルギー、あるいは量子状態のエネルギーに乗っかった情報かもしれないと言いました。そして、これも唯物論的な説明だと書きました。

しかし、唯物論からは、意識そのものを否定する説も出ていますね。題して、「受動意識仮説」と言います。人間の意識というのは錯覚だというわけですね。すなわち、外界からの刺激に対する脳の受動的な神経学的反応の総体(無意識というらしい)から生じたいろいろな思いを、自分が意図してやっていると錯覚しているに過ぎないというのです。

意識というのは、脳の物理化学的な反応の結果、脳自身が作り出した錯覚に過ぎない。だから、死んだらそれで終わり、永遠に夢のない眠りにつくのみだというわけです。あの世もなく、神様もいない。

実にさっぱりしていて清々しささえ感じます。

しかし、これを前提にすると、量子論でいうところの「観測者問題」というのは、やはり錯覚ということになるのでしょう。二重スリット実験は、スリットの通過を観測していない時には、干渉縞が出現し、二重スリットのどちらかを通ったことを観測した場合は干渉縞は出現しない、というものです。観測という行為自体は、カメラがやって記録すればいいのですから、意識は介在しなくても説明はつくでしょう。

だとしても、これはどう説明をつけるのでしょうか。↓

人間の意識が結果に影響を与えていることが一応科学的に証明されています。

受動意識仮説では、人間の意識は無意識からの錯覚ですから、無意識が、影響を与えたと説明することになるのでしょう。

受動意識仮説によると、人間は、無意識によって意思決定され、その0.5秒後に人間は自分で意思して行ったと「錯覚」するそうです。

無意識によって影響を与えるならば、例えば「右のスリットを通れ」と我々が意識を集中させる前に結果が現れても良さそうです。なぜなら、我々の意識は無意識の反映に過ぎないのですから、意識はすでに集中されているでしょう。しかし、念じた影響が現れるのは、意識を集中させてから、3秒後だそうですからだいぶ時間がズレていますよね。

我々の意識は無意識が見せる錯覚かもしれませんが、この実験結果からは、意識が現実を作り出しているという考えを否定することはできないですね。

環境による刺激に対する無意識の機械的反応に過ぎないのが人間だとする受動意識仮説からのもっと良い説明を期待したいです。

無意識が人間の運命を決めているというのはフロイトの昔から散々言われてきたことで、私も賛成ですが、この受動意識仮説はもう少し洗練させた方がいいような気がします。

無意識の正体をもっと探っていくことになるのでしょう。

仮にその正体がどうであれ、無意識が我々の現実を作り出しているものの主体だとすると、瞑想やアファーメーションによって無意識に働きかけて現実を変えていくということは、とりあえず有効かもしれないですね。

また、唯物論的な説明になってしまいました。科学を全否定するつもりはないですが、現代の科学はまだまだ不十分だと思うのです。

そろそろ、こういう科学的な説明は飽きたでしょう?物心二元論的なお話しも聴きたいですよね。次回は物心二元論のお話をしてみたいと思います。

続く…。