マクロでもやはり観測者問題は成立するらしい

今日は妄想モード爆発な状態なので、ドン引きしないで読んでください。こういう話題が苦手な方はスルーしてくださいね。

先日、YouTubeを見ていたら、こんな動画に出会いました。↓

この動画を撮っている人はとても優秀な科学者の方ですね。専門家です。

私が、この動画で衝撃を受けたのは、有名な二重スリット実験を、フラーレンという炭素の人工結晶体で行っても、ミクロの量子を使った実験と同様の結果が得られたということです(恥ずかしながら20年以上前にわかっていたことらしいです)。

フラーレンというのは、高校の有機化学なんかで出てきたかなり大きな結晶体なんです。ボールのような形をしていて分子量は炭素が60個の結晶体だから12×60=720もある分子の中ではかなりデカいものです。

私は、いわゆる量子論的な現象は、ミクロの世界だけで成り立っていて、マクロの世界には通用しないのだと聞かされていたのです。でも、マクロの世界で量子論的な現象が起きていることが確認されたということは、このマクロの世界も量子論的解釈が可能なわけです。

アインシュタインが、量子論を批判して「月は我々が見ていない時は存在しないのでしょうか?」と言ったことはとても有名です。

アインシュタインは、量子論の奇妙さを指して、「ね、おかしいでしょ?月が我々が見ていない時は存在しないなんてバカなことがあるはずがない、だから量子論は、どこか間違っているに違いない。」と量子論の批判に使った例えです。

でも、量子は位置とその時刻を両方特定することはできない、確率論的にしか表すことができない、としています。その確率の点を空間に記していくと、霧のような雲のようなものが出来上がります。例えば、原子核の周りを回る電子の位置を確率的に記していくと、電子雲という奇妙なものが出来上がります。

電子が何時何分何秒の時点で、どこに存在するかを100%の確実性を持って表すことはできません。全ては、ボヤボヤっとした霧のような雲のような状態で存在しているのです。

シュレディンガーによると、あるひとつの現実、あるひとつの世界にはそれぞれ固有の波動方程式で表される現実があるはずなのですが、我々の世界固有のその波動方程式自体がわかりません。全ての可能性が重なり合っているのかもしれませんし、無限に枝分かれするパラレルワールドがあるのかもしれません。だから箱の蓋を開けるまで、猫は生きているのか、死んでいるのかを予め計算で求めることは今のところはできません。蓋を開けてみて初めて、一つの現実、一つの世界が確定するのです。つまり、我々が現実に観測するまで、世界は確率論的な霧のような雲のような状態のままだというのです。

しかしこれは、量子というミクロの世界で起きている出来事をマクロの世界に置き換えていわばわかりやすく比喩的に表現した話だと長年考えられてきました。

マクロの世界には、アインシュタインやニュートンの物理学が通用して必ず原因と結果でそれは成り立っていて、確率論ではなく、予め正確なデータがあれば、北朝鮮のミサイルでも、発射する前に着弾点は計算できるわけです。

よって、ミクロの量子論とマクロの例えばアインシュタインの相対性理論にはギャップがあったのです。しかし、マクロの世界でも、量子論的な理論の応用が可能になれば、ミクロの世界で起きていることはマクロでも起きていると解釈して差し支えないことになります。

ですから、我々が窓の外を見て月を発見するとき、その霧のような雲のようなボヤボヤっとした不確定な状態が、一つの現実に収束して現実を作り出すのです。本当に、我々が見ていない時、月は存在していないのかもしれない。ただ確率論的な可能性の雲のような状態で存在しているだけで、世界は、宇宙は、客観的に存在してないのかもしれない。

そして、人間が観測するという行為を通じて、世界は確定し、我々の前に姿を表しているに過ぎないのかもしれません。だとすると、その世界を宇宙を作ったのは誰か、それは他でもなく、自分自身かもしれません。

古い教えに、「世界は自分が思った通りのものである」というのがあるでしょう?般若心経にも「五蘊皆空」(全ては幻)とあります。

「少なくとも自分の現実は自分が作り出したものである」と私は本気で信じています。もしそうなら、現実は自分の望むように変えられる、それを開運と呼ぶならそういうことなのかも知れません。お後がよろしいようで…。